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(児童詩誌「サイロ」創刊50周年記念講演会「暮らしの中の言葉」から=11日、帯広市民文化ホール) |
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*言葉を上手に使えば、後々まで残る。それが詩。
言葉は毎日使っていて、誰でも知っていて日本語であれば大丈夫と思っているけれど、意外とそうでもない。言葉を賢く、上手に使うということをお話しできれば。
昔から、作文で言われてきたのは「思った通りに書く」。これは間違いです。締まりがなくて、いい作文にはならない。もう少し工夫がいる。
一番いいのは言葉を少し減らしてみるんですね。どの言葉がいらないか、繰り返しはないかと引き締め、その上でちょっと凝った言い回しを使ってみる。そのためには備蓄がないといけないので、いい文章を読む。読むのはとても大事です。
好きな文章に出会ったら原稿用紙を買ってきて、自分の手で写してみる。だんだん自分がお手本とする文章のこつが分かってくる。それを自分の文章に応用する。そういうことを繰り返して、自分の文章術を磨くんだと思うのです。
ワープロが普及したころ、日本語が変わるんじゃないかと言われました。その傾向はありました。小説について言えば、漢字が増えた。手で書けない漢字でも変換で出てくるから、どんどん使う。また全体に長くなった。書くのがある種楽になったからとめどがない。
しかし、読んでいておかしいんです。僕の体験で言うと、ワープロで書いたら1回プリントし、赤鉛筆で手を入れる。余計な部分を取って、手書きの修正部分を見ながら、ワープロで直す。必ずそうしていました。
言葉はある意味、すごく長生きです。基本的には千年前のものも読める。今昔物語くらいだったら、そんなに苦労しないですみます。そのくらい変わらずに次の代に伝えてきた、ゆるぎない文化的な道具です。
その一方で、自分の気持ちを伝える道具であるから、インパクトのある言い方をしないといけない。今だと若い人たちが、2文字でちょっと尻上がりで強調しますね。「キモっ」とか。「新しい言い方を使っているぼくたちは若いんだ」という気持ちで新しい表現に飛びつく。だから言葉は変わっていきます。
一方で、日本語の本来の姿も伝えていかないといけない。両方があって言葉は進んでいく。明らかに生き物ですから、箱に入れて固めてしまってはいけない。ああだ、こうだと言いながら、少しずつ変わっていく。それが日常の言葉です。
もう一つレベルを引き上げて、言葉を上手に使って、言いたいことを言う。それが後々まで残るのが、詩ではないかと思います。なぜ残るかというと、みんながその思いを共有できるからです。
詩の一つの機能ですが、読んだ人がある状況で「あの詩に書いてあったのはこういうことだったのか」と気付く。自分の気持ちを表現する道具として、他の人の詩を持ってきて読むことができる。
一番いいのが、恋しているときですね。特定の人のことが気になってしょうがない。心がざわざわとして落ち着かない。自分で表現できればいいんだけど、そうでなければ、だれかが書いた恋の詩を持ってきて読んでみる。すごく自分の気持ちが分かる。それが良くできた詩の機能であり、そのために人が詩を書いてきたんだと思います。 |
〈略歴〉
いけざわ・なつき 1945年、帯広市生まれ。埼玉大学理工学部中退。1984年、短編小説「夏の朝の成層圏」で小説家デビュー。「スティル・ライフ」で、第98回芥川賞受賞。現在、北海道新聞朝刊などに「氷山の南」を連載中。札幌市在住。 |
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