北海道新聞帯広支社
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「迎え火」 佐藤 弘子(80)=芽室町*芽室会場 2017/09/27

 わが家に仏壇が置かれたのは母の死からで、お寺との付き合いも四十年近くになる。
 父、夫と続き、厨子(ずし)の中も賑(にぎ)やかになった。
 五年前に逝った夫の月命日には、お参りを依頼しているが、八月は多忙とのことで来訪日はお任せしていた。後日、来て下さったのは若い僧侶である。
 近隣の寺から修行に来ているのか、彼のお経を聞くことが多くなっていた。
 「勤行集」というものだが、月一度、在宅している家族が一緒に唱えるのである。この度の読経には驚いた。先月までには感じなかった上達ぶりである。速度は早からず遅からず、音調も重からず軽薄ならず、誠に心地がよいのである。やはり継続の妙かと思う。
 ちょうど孫娘が子供とともに来ていて、来年小学生になるひ孫が「この中で一番先に死ぬのはグレート(英語で曽祖母を意味するグレート・グランドマザーから、私のこと)だね」という。
 何という率直さか。年長の私を差し置いて「違う」とは誰もいえない。
 「グレートが死ぬとき、人はどのように死んでいくのかしっかり見るのよ」と私は答えた。
 お盆は死者が帰ってくる日だが、キュウリ馬もナス牛も作らず、迎え火、送り火も然(しか)りである。火の替わりにほおずきを皿にのせてもよい、と記憶しているので真似(まね)ている。
 昨今、死に関わる諸事情が取り沙汰されている。葬儀の方法、仏壇の種類等一考はあろう。いつの時代も風は吹き、変化は求められる。


 

 

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