昨年8月、十勝にも台風が津波のように、四度にわたって襲来。至る所で甚大な被害だ。
思い起こせば、深夜の熟睡中に10号の避難勧告が発令された。時計は12時40分を指していた。
眠い目を擦りながら窓越しに覗(のぞ)けば、驚くなかれ暴風雨で電線は切れんばかりに大揺れで、草木も荒れて靡(なび)いていた。
利別川の堤防が氾濫寸前という。街宣車から緊急の報に焦りを感じ、非常用のリュックを背負い、安全地帯へと車で急ぐ。体育館に着くなり、「私たち早いほうよ」と家内が呟(つぶや)くように、ポツリという。
受け付けで住所と名前を記載。万が一の時の連絡先なども記入する。
毛布を配られ、横になったが、ザワザワした雰囲気のなかで、うたた寝。頭がボーッとして冴(さ)えないまま夜が明けた。
給食センターから借りたのか、大きな食缶が運び込まれた。係員が「朝食の準備ができましたので、二列に並んで受け取って時計回りに戻って」…と説明。
このような時の炊き出しは、初めての体験であり、疲労のためか特にうまかった。
しかし、乳呑(ちの)み児や、車椅子の生活をしていた家族もあったでしょうに。どんな思いでここに来たのだろうか、と家内と話しあう。
今回の避難係員たちは懸命に健康状態を確認、常備薬の有無、血圧の測定などあれこれと動いていた。私はこの足寄の町に住んで、素直によかった、と思っている。
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